インターネットという世界は,その初歩にプライバシーという概念がなかった世界だ。ほんとに,まったくなかった。今さらそれを変えようとしても,及ばない部分もある。だが,それよりも,そこに住む私たちの意識が,いちばんそれを阻害している。
すべての行動を監視しているビッグ・ブラザーに驚異を抱いている人もいる。だが,コンピューターの自由とプライバシー会議の基調講演では,さまざまな抑圧体系からプライバシーへの関心の薄さが説かれた。プライバシー過激論者と一般大衆との差は大きく,大衆はもっとシンプルなプライバシーツールでなければ使わない。
常に繋がっているということは,常に覗かれる心配があるということだ。あなたが送ったメールは,幾多のサーバーを経由していくが,そのどこででもその内容を取り出すことは可能だ。それよりも大きな存在としてのエシュロン・プロジェクトがある。ネットワーク上のすべての情報をチェックしているという現代版ビッグ・ブラザー(過去記事1,2)。そんな中で生きていたとして,なにが自由なのか。
し・か・し,だからといって,我々がなにをするというのか。メールを暗号化しても,相手にも手間をかけてしまうし,なにより盗み読まれて困るようなメールなど送ってない。マックOSのキーチェーンも結局煩雑になるだけなのでいまだに使ったことなし。ウェブ上のサービスが受けられなくなるからクッキーも受け入れざろうえない。重くなることが多いプロクシサーバーを利用するくらいなら,ちょっとぐらいログをとられたほうがましだ。な〜んて,プライバシーって重く考えたいけど,実は軽々と扱ってしまっているものなんですなぁ,私も(^_^;記事を読んで改めて実感)。
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